6月後半

25日 月曜日

会議のあと四谷三丁目へ行く

四谷未確認スタジオ Open studio


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本日一日限りのオープンスタジオで、これが公式にスペースをお披露目する初の機会となる。スペース自体は5月から着工していた模様。とはいえ、元銭湯であった場所柄が十分に伝わる内装は残しており、脱衣所と思われる鴨居をまたぐとほぼ手付かずと言っていい状態である。主宰の黒坂祐氏はこれまでセンチメンタルな映像や味わい深いペインティングを発表し、注目を集めてきた作家で、表現の多様性に私は非常に興味をそそられるものがあると思っていたが、この度のセルフリノベによるスペース立ち上げで、これから私は僭越ながら「1991年生まれの極北」と彼のことを内心で呼ばせていただくことに決めた。このスペースの帯びる独特な雰囲気は、氏の作品同様様々な読み込みが可能である。たとえば東京の東側を中心に現在spiidの青木さんらが率先して行っているアートスペースの立ち上げで出来た場所との比較からまず言うと、それら古民家の壁面を白く塗ったり壁面を新たに立てたりし、内装を画廊空間にした外観のみ古く中身はモダンなホワイトキューブといったような場所とは違い、そもそも白い壁面が一面しかないし、廃業当時の備品をそのまま残している点ーーたとえばシャワーや湯船などーー違いを打ち出す装置として意図的に際立たせている(ように見える)。まず、その点は黒坂氏曰く、既存のそれら“オルタナティブアートスペース”は、ホワイトキューブ批判に徹しきれていない、とのようなことだった。ホワイトキューブ批判とは、美術の権威付けを行う機関を批判するもので、つまり、通常の作品評価のプロセスが「いい作品→権威を帯びる」であるのと逆立し、「権威を帯びる→いい作品」となってしまう美術館や画廊の官僚的なあり方、もっと言うとそこにいる人々を批判するカウンター的な考え方だ。それが、“オルタナティブアートスペース”もホワイトキューブの方法論を踏襲することで、同じ轍を踏んでいるという意味である(おそらく)。例えば「あをば荘」の水道など、一概にいうこともできない例もあるはずではあるが、黒坂氏の言うところは、美術の原動力である“乗り越え”を感じさせ、私は同世代として非常にそれを応援し、評価したいと思わせられた。もうひとつ、私が入り口の敷居をまたぐと同時に感じたのが「あ、これスカイザバスハウスだ」というデジャヴュであった。当然どちらも元銭湯なのだから似ていることはあってもおかしくない話のはずなのだが、建建物全体も“木造”(2018年に!しかも四谷で!)だし、ファサードの形も非常に似ている。だが、内装はことごとく違うのだ、言うならばこちらは「スカイのお化け」となるかもしれないが、その点都内に銭湯を使ったアートスペースはスカイだけであるはずだし、建物の大きさも充分で「双璧をなす」と言ってもーーそれは今後の黒坂氏の頑張りにより充実させていくしかないのであろうがーー過言ではない(というのは多分に私の期待を込めて言っているのだが)。それを伝えると氏は実際にスカイには足繁く通い内装をことごとく頭にたたきこんだのだと言っていた。日本を代表するトップギャラリーと似せつつ全く違うポイントを明確に打ち出すことで、おそらく海外アートフェアで稼ぎまくるG9批判にも繋がっていくし、その実やはり「ドメスティックにある可能性」を探るという趣旨のこともおっしゃっていらした。もう一つ私が感じたのはAAWっぽさである。これも最初の話とつながりを持つ。もとの内装か残ったままうまく作品をインストールしていく行為は芸術祭一般にみられる方法論ではあるが、熱海で学生たちが展示をする行為はとある必然性を帯びる。なぜか。熱海はバブル経済の華やかりし頃、社員の慰安旅行などで成長期真っ只中の日本企業が落としていったお金で栄えていたが、バブル崩壊以降、開発は止まりその時の成長史観を残したまま凍結されたのだ。我々人類は自身が生まれた時代どのような文化が花開き栄えていったのかを絶えず探求するーーオリジンとはそういうものではないか?ーー生き物だと私は思っているが、その考えで行くとバブル崩壊以降の暗い日本に生まれた世代が自然と当時の雰囲気をとどめる場所に関心をそそられるのも納得できるし、アートの一つのあり方に自身のオリジナルを探すという意味があるのを考え合わすと、そこでオリジナルに切り込む意欲的な展示が行われるのはとある強度、すなわち必然性を帯びるのだ。そのような、強度としてひしひしと鑑賞者に伝わってくる必然性が私は、この四谷未確認スタジオにも確認できると思った。なにしろスタジオの雰囲気は熱海で感じた展示のある種の風通しの良さがまずあったし、未来少年コナンや横浜買い出し紀行に繋がるような、大きな文明が滅んだ、またはいままさに滅びつつあるなかでときおり忘れていたように動き出す前時代の歯車の持つノスタルジックな雰囲気というか、そのなかでも生を肯定しようと懸命に生きる健気な青年少女に感じるいじらしさというか、そういうものが、AAWと共通して見いだせる傾向であると思われたし、実際に黒坂氏は永らくAAWにも関わったおられたのだ。ある意味でこれは熱海の、バブル崩壊で止まった時間に生き徐々に滅びゆく場所の、東京への逆襲に違いないのだ。中途半端に廃棄された銭湯の備品が散在する中でところどころにーーそれらを否定するのでも肯定するのでもなく、ただバランスを保つことだけが意識されていたかのようにーー作品がインストールされており、これこそがイデオロギーを肯定も否定もせず、判断保留して据え置くバブル崩壊以降の平成に生まれた我々の距離感であり、表象であるようにも感じたし、そしてこれはいみじくも、平成最後の夏の始まりに起きた出来事であったのだ。