カオス*ラウンジの終焉――TOKYO 2021を観て――

前回、六本木ヒルズA/Dギャラリーでみた展示も惨憺たるものがあったが、今回はツイッターの宣伝ツイート(主に黒瀬陽平によるエゴサ)で評判の展示のようだと刷り込まれ鼻から期待値が膨らんでいたこともあって、尚更失望が大きくなったと言える。出ている作品が、まずどうしようもなく目も当てられない状況だった。正直に告白すると、あまりにも目も当てられず、顔から火が出るような思いで展示室を後にしたので、個々の作品をじっくりと分析してみたかというと、そんな暇もなかった。なので、個々の作品に対する言及ができない。が、そんな私をして書かしめるこの酷さとは一体なんだったのであろうか・・・。赤面し、一目散に逃げ出した一鑑賞者なりに原因を探りたい。


本展は、2019年9月14日〜10月20日まで東京・京橋の旧・戸田建設本社ビルで「慰霊のエンジニアリング」と題され行われた展示だ。出品作家は、『これが現代美術でござい・・・』と言わんばかりの錚々たる顔ぶれである。展示室Aには、一時代を代表する作家らの過去作が並んでいる。中谷芙二子八谷和彦、三上晴子、そして会田誠といった、そこだけ抽出すると奇妙な取り合わせに思えるメンツだが、各時代の代表作家を選り抜いたと思えば、納得がいく。さしづめ出品作品の年代として、1970年代(中谷)、80年代(三上)、90年代(八谷)と時系列に沿って整理することはできるけれども、彼らが「何も生み出さなかった」(カオス*ラウンジ宣言)とする00年代の日本のアートシーン(マイクロポップネオテニー)の代表的な作家の名前は見出せず10年代に至っている。その10年代を代表するのはもちろん、カオス*ラウンジとそのお仲間たちである。1980年代の三上晴子から90年代の八谷和彦に繋がる線はメディア・アートだ。八谷は阪神大震災の表象を目指す。同様に、宇川直宏もサンフランシスコ地震阪神淡路大震災を結びつけて表象することを試みており、この宇川の2007年の作品を経由して、3.11以後の梅沢和木作品へと至る――と、想像上ではきれいに文脈を作ることができる。が、実際には入り口そばの一番いい位置にカオスラ(カオス*ラウンジ)関係作家(宇川も含め)の作品がおかれている。その上、入り口真正面に位置し、まず最初に目に入るタイの地獄寺にモチーフをとった磯村暖の作品が、この文脈から外れてしまっているのは明らかにおかしい。逆に、ドメスティックな日本(=「悪い場所」)を一要素とした展示のコンセプトを、ぼやけさせてしまうものではないか。畢竟、本展は災害をキータームに、他の有名作家をダシに“カオス*ラウンジとその周辺のアーティスト”の作品を位置付け=レペゼンしようとした試みである。このような策動をこのまま放置しておいていいものなのか?

とはいえ、上記は少しでも知恵をつけている鑑賞者なら、すぐに気がつくレトリックである。現代アートのロードレースゲームを勝ち抜くために、たまたま傍にいたプレーヤーと共闘して他のチームを出し抜くことは珍しくもない。本展ではしかし、カオス*ラウンジが展覧会を構成する上でより以上に重要な要素として完全に見落とされていたものがあった。それは、次に述べる空間性である。ものとものの配置が導く緊張感にも似た、素材そのものと場の醸成するようなある種の“気配”である。 今回の廃ビルのように特殊な、そもそも美術鑑賞のためではない空間で作品を見せるときには、その空気感を作ることにしか成功の鍵はない。空間性への配慮を怠れば、そこに作品を在らしめる必然性の結び目がゆるみ(そもそも何故ここで作品を展示しているのか?)、“美術だ”と担保する真正性が抜け落ちた結果、皮肉や批評といったメタ言語を扱った作品が、一周まわって“間抜け”に見えてしまう。すなわち、スベっている(実際、三上も八谷も、ほんのお印程度に置いてる感が否めず、壮大なテーマを持つ作品は全てスベって見えた)。スベッた作品は、ゴミと見紛う有様なのだ。これはキュレーションの失敗である。おそらく、気恥かしさの一因は、ここにもあっただろう。ユーザー目線にたてないデザインにはそもそも存在の価値がないように、鑑賞者の目線をないがしろにするキュレーションは無価値だ。展覧会はキュレーター自身の思考の飛躍を見せる場ではなく、手助け(キュレート)し、作家自身の思考の飛躍をこそ鑑賞者に読み解かせるための場であるからだ。 

 

どういうことだろうか。人がいた痕跡というものを考えてみよう。ここで筆者自身の思考が飛躍することをどうかお許し願いたい。さっきまで、人の座っていたデスクの上には、身の回りの種々雑多な品々が散らばっている。ただ散りばめたのではなく、自分の手の届く範囲——せいぜい椅子を中心にした半径60cmにそれらは置かれる。デザイナーは、人の所作を逆算し、<ポジ/ネガ>の関係のように人の動き・形(ポジ)から反対の形(ネガ)を導いて、体にフィットするプロダクトを作り出す。現代美術家は、同じ<ネガ>を用いたとしても商品製作が目的ではなく、“さっきまで人がいた”という場の雰囲気——そこから拡がる想像力を視覚で喚起することや、視覚—脳そのものに、なんとなく自分ひとりの存在がそこにすっぽりと包まれてしまうような超越性を感受させること——そのものにフォーカスを絞る。気配を出すためには、空間と作品、作品と鑑賞者の条件が一揃いとなる。ただ作品だけあればいいわけではない。ここに陥穽がある。作品と展示コンセプトだけあればいい、という単純な考えは、“空間性への配慮”を欠落させるだろう。先ほどのデスクで例えてみたとして「置かれる小物そのものの質が人の気配を伝える」ことがあるにしても、それが機械的な配置だとしたら、どうだろうか。ペン、メモ、目薬、時計……。それらがデスクの上で同一線上に整列されていたとしたら——。ランダムに散らばる小物からは、『ここに座ってモニターに向かいつつ、目薬を無意識に放ったのだな』とか『右にペンや付箋が放ってあるのは右利きだからかな?』など、様々な連想や体験を得ることができる。一方、きれいに配列された物からは、ただ『几帳面な人なのかな』という一つの印象しか受けないだろう。なぜか。そこに“人がいた”という痕跡を「物が配列されている」という一つの動作の結果からしか認めることができないからだ。究極において、ものの配置は意味につながるし、意味は強度につながる。

 

ここに一揃いの靴と靴下の石膏型のオブジェが映る大判ポジフィルムの作品がある。靴下は、あたかもマグリット≪赤い靴≫のように直立し、脛まで引き上げられたままで型取られ2つの不気味な洞穴を覗かせている。展示室の壁面には同じ規格のライトボックスと大判ポジフィルムが組み合わさった作品が並んでいる。同時期にとある画廊で行われていた「吉野和彦」展の一風景だ(筆者は「慰霊のエンジニアリング」展を観たその足で本展を拝見した)。鑑賞者はまず、シュルレアリスムに題材を取ったパスティーシュ的作品かと不思議がるかもしれない。が、作者によると、人間が身に纏う品々のうち、靴と靴下は一番体に密着した装身具なのだという。それを持ち主不在の(透明人間が身に纏ったかのような)ままで自立たらしめること、そこから鑑賞者の想像力を、不在の持ち主たちに差し向けること——。さらにポジフィルムに写像するのは、第三者(プリンター)の解釈による現像時のズレを無くすためだと話す。それぞれ、持ち主の異なる靴下/靴(の石膏型)のオブジェと、そこに眼差しを向ける作者の間に、筆者は、こういってよければ、母子関係——まるで神と私の対峙——に見られるような根源的な凝視、相即した関係性があることに気づき、否が応でも作品の強度は高まって見えた。同様の“根源的凝視”とも呼べそうなものの反復が、出品された他の作品の上においても見てとれる。このように意味があると悟ったとき、作品—展示の強度は上がって見える。ここから得られる考察は、ある種の展覧会鑑賞は、ミッシングリンクを探す行為にも似ているというものだ。その場で作品の意味に思い至ることができなくとも、様々な意味に担保された(必然性を帯びた)良い作品というのは、内触覚によって感じ取ることができるし、キュレーターの饒舌がそれを台無しにしてしまわない限り、鑑賞者はいつまでも愉しみに浸ることができる。良い作品は、様々な連想=意味を生む契機を孕んでいる。だからこそ、机の上に無意識に散りばめられた小物は人の目を惹きつけるのだ。

 

やや遠回りしてきたが、筆者が言いたいのは、「慰霊のエンジニアリング」展の作品の質、“空間性への配慮”を欠いた配置のバランスは、形式的に高められた伝統的な祭事を扱う美術展でなく、高校生の文化祭のテクスチャに限りなく近い、ということだ。先述したように、ぞんざいな扱いは受けるべきでないはずの作品が、ほんのお印程度に置いてあったことに目を逸らしたくなるような気恥かしさを感じてしまったのはその通りだが、それと同時に、80年代アートの回顧展や高校生の文化祭を見てしまった時のような“ナルシスティックな雰囲気”に対する違和感や気恥かしさを禁じ得なかったのも確かなところである。陶酔的な学園物語に感動しきり、それも権利だと開き直った“嘴の黄色い”生徒達による内輪向けの祭典、そしてそれを暖かな目で見守るのもまた、関係者というお墨付きを頂いて狭き校門をくぐり抜けてきた良き理解者と身内のみ……。上履きの踏み跡で汚れのついたプリントの裏面——ではなく、地面に直置きされ踏み荒らされたキャプション。青春の1ページを飾るように体操服を汚しながらみんなで描いた思い出のタテカン——ならぬ、集団お絵かきオフ会のノリの再現に失敗したようなキャラクターの哀感漂う集合絵。直接壁にはられた梅沢作品に至っては——彼はもう手荒に扱われるべきレベルの作家ではないはずなのに——幕引き前に杜撰な接着のせいで剥がれてきてしまった学内イベントのフライヤーのように、くたびれ隅角がめくれかけている(実際、筆者が見たのは最終日前日だったのではあるが)。

 

カオス*ラウンジが擡頭してきたのは、2008年(まだポストポッパーズという名称だった)頃であり、この時期インターネット上ではまさに、ピクシブツイッターフェイスブックなど産声をあげていて、このような時代の趨勢を反映して起こるべくして起こったネット発の運動体(コレクティブ)の先駆となった。当時の日本はリーマンショックに端を発する景気冷え込みと、追い討ちを掛けるようにして行われた大手企業での派遣切りで、多くの人々が職を失う年にあたっており、その2年前である2006年には「NEET」や「勝ち組/負け組」、「下層社会」などという言葉が流行語大賞にノミネートされるなど、これまで1億総中流とされていた“豊かな日本の闇の部分”にスポットが当てられ始めた頃に当たっていた。そのときに、この運動体は全てが繋がり、必然性を帯びて見えた——。

筆者がカオス*ラウンジによる展示を始めてみたのは2010年、高橋コレクションのときである。その当時、屈託した大学生だった筆者が受けた鮮烈な印象は、次の通りである。つまり、抑圧(ピクシブ上でも等閑視)されてきたヲタク=社会的弱者=負け組としての無名のクリエイター集団が、オフ会(ポストインターネット的現実)を通し、謎の熱気を帯びていき、勝ち組/負け組の観念が固定しきったスタティックな格差社会に対して、まさにカオティックな表象の反撃を仕掛けていく……。今のカオス*ラウンジには、そのような初期の熱量が果たしてあるのだろうか。ネット(ピクシブ)上で共有された謎の共同幻想=ゆめにっき(!)に媒介され、結実したキャラクター表現の極北によるファインアートへの猛攻は、一段落し、ある意味クリシェ化したとさえ言える。キャラクターの美術作品の現在形が見たければ、新宿眼科画廊や四谷のアートコンプレックスセンターに行けばいい。さしづめ、カオス*ラウンジが用意したキャラクター絵画=美術の文脈の末裔達と言える、BL・エログロ・ゴスロリなど既存の巨大な二次創作ジャンルを飲み込み肥大化しきった“キャラクター美術作品”の一大見本市で、箸にも棒にもかからぬ“様々なる意匠”と出会うことができるだろう。ここで筆者は一つの仮説を取りたい。同じようなマニエリスム的情況が、半世紀以上前の日本のアートシーンにも見出されるのではないか。

 

1950年代のアンフォルメル旋風は、有象無象のクリエイティビティのはけ口として働いたと説明されるのが一般的である。戦後間もない56年に日本に紹介された熱い抽象——アンフォルメルは、戦中期に抑圧されていた人々の中の怪しい表現欲に火をつけ、形を与える契機として働いたのではないかという言説だ。だが、ここ2010年代の日本においても、同じような力学が作用しているのでないか。幼少期に作品体験の原風景として現れたアニメーションは、しかし大人になるにつれ抑圧を受け内潜を強いられることとなる。そのまま二次創作なる趣味性(=シミュラークルとの戯れ)へと回路が振り向けられ、充足するのならばそれでいいはずだが、もう少し色気を出して、作家性(=自己との対峙)へと自覚的に回路を振り向け、現代美術のゲームで戦おうとするなら話は別だ。アニメへの嗜好を受け入れるかどうかの2択で現代の美大生がどれだけ頭を悩ましているか。

一方で、美大生でなくとも、自身のうちに表現欲がやみがたくあり、事象に記号が与えられるように、内面が分節化された際、美術の表現手法(シニフィアン)となったアニメ絵が一番身近にあったため選び取ったということも、往々にしてあるだろう。だが、あくまでアニメ絵はいくつもある表現手法の一形態であり、自身が必然性を感じて選び取ったにしても、しかもすでに様式化し、いわんや美術の根幹を揺るがし得るような仕事がそこから出てきえないのが明白になっている現在、作家性に目覚めた若い人々の目の前に、手垢にまみれた表現手法としてのアニメ絵が横たわっていることは必ずしもいいことだとは言えないのではないか。そろそろ美術史を前に進めていくべきだ。アンフォルメルは、57年以降に読売アンデパンダンが過激化したことで終結したとされる。この、アンフォルメル旋風に引き寄せて考えてみること。つまり、ヨリ過激化の一途をたどり、桁上げされること——そこにも、作家らのクリエイティビティの可能性を、この地獄のようなアニメ絵の桎梏から解放させる一つの解があるのではないか。

 

先にも述べたとおり、運動としての必然性を失ったいま、カオス*ラウンジは解散すべきだと思える。黒瀬陽平はインディペンデントキュレーターになり、もっと自由に、しがらみから解かれて活動したほうがいい。藤城嘘梅沢和木も同様だ。そのうえでカオス*ラウンジが美術史に残るかどうかは、権謀術数をもって政治的に動き回るのではなく、評価の決着自体を、時代の趨勢のみにゆだねる。その方が、美術自身のためにもなる。

(2020.07.27追記)

このような形でカオス*ラウンジが終焉することは、全く予期せぬことであった。しかし、時代の潮目が変わった現在このタイミングで、文章を公開することとしたい。